2018年6月 雨降りの日に

20186月 雨降りの日に
 
 梅雨に入って間もないある日の午後,外出から戻る途中雨がぽつぽつ降りだした.マンションの玄関に入ろうとしたとき,向こうからランドセルを背負った小学1年生くらいの男の子がやってきた.手にはこうもり傘を抱えていたがさしてはいなかった.余計なお世話かと思ったが「きみきみ,雨に濡れないように傘を差したほうがいいよ」と言ったら,彼はすれ違いざまくるりと私の方に向き直って「どうもありがとうございました」と言って頭を下げてから傘を開いた.一瞬,私はあっけにとられた.天然ボケなのだろうか,雨に気が付かず注意され本当にそう思ったのだろうか,雨が降ってきたら傘をささなければならないと母親か誰かに言われなければさそうという気が回らないのか,そこまで思考力が落ちているとは思いたくないが.最も,雨=傘と連想するのは特に日本人に強い思い込みかもしれない.もう,20年近く前になろうか,5月から8月にかけ,3ヵ月ほどカナダのハリファックス市に滞在したことがある.北緯43度付近の気温の低い街だった.よく雨が降ったが行きかう住民でこうもり傘を差している人が非常に少ないのである.アパートからお世話になっていた大学の研究室まで徒歩で20分近くあった.雨のかなり強く降っているある朝,2日間ほど傘をさしていない人を数えてみたら,すれ違った20数人のうち半分弱の人が傘をさしていなかった.とても不思議だったので何人かの人に尋ねてみたが,なぜそんなことを質問するんだと怪訝な顔をされた.誰も不思議に思わないのである.しいて理由を尋ねてみたら,ここは風が強くて雨は横殴りで傘は役に立たないし,すぐ壊れてしまうから傘を差さないことが習慣化したのではないかとある教授が語ってくれた.そういえば外国映画で人々が雨に濡れながら歩くシーンも多い.
 雨で思い出した.遠藤周作のエッセイに出ていた話である.彼が子供のころ,母親から役目の一つとして,庭の草花への水やりを言いつかっていた.彼は忠実にこれを守り雨降りの日も草花に水をやっていた.その姿を見た母親が,この子は少し知能が低いのではないかと嘆いたそうな.
 今日も雨である.庭の白っぽかったアジサイの花の色が濃い紫色に変わりだした.ザクロが例年になく沢山の花をつけている.濃い橙色の点々が緑の葉に映えて美しい.バラはもう終わりで切り忘れたがくが赤い花びらを数枚残したまま雨に濡れている.昨日は雨の中,雨合羽を着て梅の実もぎをした.2本ある梅の木の1本は収穫時期が少し遅れ,実が黄色を帯びていたが,他の1本の方はちょうどよいタイミングで翡翠のような緑色をしている.昨年は30粒くらいしか取れない不作の年だったが,今年は13 kgも採れた.妻がこれで梅の砂糖煮を作ると言っているが,実現するかどうか.砂糖煮は難しい.インターネットには各人,各様でいろんな作り方が載っている.以前,それに習って,二,三の作り方でやってみたが,皮が剥がれたり,実が崩れたり,茶色に変色したりで,鮮やかな緑色を保っている,これはと思えたのは数十粒のうち,数粒だけだった.
 あまりにも繁茂したので昨年の暮れ,思い切って枝を刈り込んでもらったヤマモモがまた枝葉を伸ばし始め,小さな緑色の実を沢山つけている.梅雨明け前後にこれが赤く実り,また暑い夏がやってくる.