2018年2月 ささやかなよろこびと楽しみ

 子供のころ,母が弁当のおかずがないとき,ときどき作ってくれたのがごはんと海苔と鰹節が交互に重なり醤油味のついた弁当だった.海苔弁当といったか鰹節弁当といったか,名称は忘れてしまったが,大好きな弁当だった.時々,この弁当を作ってとねだったものである.冬,冷たい弁当を食べるのは子供たちがかわいそうとでも判断されたのか,当時,暖飯器(だんぱんき,たぶんこの漢字だっと思う)というものがあった.縦横90 cm,高さ15 cmくらいの木製の正方形の枠で底に格子状に細い鉄棒が張ってあった.上は何もなし,筒抜けで,この箱に生徒たちは朝登校したら,自分の弁当を入れて並べた.授業が始まった頃,小使さんが数段重ねたこの木箱を炭火のおこった鉄製の火鉢の上に乗せ,箱の上に木の蓋を乗せた.おかずに沢庵付けでも入っていたのか,暖められた弁当からその強烈な臭いのする日もあった.昼食時,程よく温まったこの海苔弁当は香ばしくておいしかった.炭火が強すぎて運悪く一番下の箱に入った弁当のごはんの焦げていることがたまにあった.先日,ふと思い立ってこの弁当を作ってみようとした.鰹節もすでに花弁のように削ってあり袋詰めになっているのをそのまま使うのは安直で面白くない.もう十年以上も戸棚の上に眠っていた鰹節削り器を取り出した.鰹節削り器の箱の中に残っていた固い鰹節は神社に嫁いだ義妹がお供え物として上がったのをいただいたものである.この鰹節を削ってみると細かい粉末にしかならなかった.花弁のように薄く削るのにどうするか.まず,削り器の鉋の刃が切れなくなっているだろうと鉋台から,刃を取り出し砥石で研いだ.包丁やナイフ研ぎは趣味の一つである.しかし,やはり削った鰹節は粉末のまま.鰹節が乾きすぎているのかもしれないと考え,濡れた布巾に包み一昼夜寝かせ,湿り気を与えたのち削ったらどうやら不満足ながらも薄い鉋屑状のものが得られた.当時の弁当箱はほとんどがアルマイト製だったがこんなものはもうないからプラスチックのタッパーで代用した.初めに炊き立ての飯を薄く敷き,その上に削った鰹節をふりかけ,醤油をたらし,次にまた飯を薄く敷き,その上を海苔で覆った.また,飯を薄く敷き醤油を少しふりかけ出来あがった.鰹節と海苔の重ねる順序はどちらが先だった思い出せなかった.早速食べてみた.昔の味と少し違うような気もしたが,まあ,おいしかった.作り手も違うし,あのころは食料も不足していていつも空腹状態で今とまったく状況が異なる.味覚も変化しているだろうし仕方があるまい. 
作家の阿川弘之がこの弁当がやはり大好きだった.晩年まで娘の佐和子氏に作ってくれるよう時々依頼したとか,彼女のエッセイに出てきた.密かに愛好者が未だ,どこかに生き残っているかもしれない.
 歯ブラシがそろそろくたびれてきたから,今日は午後からこれを買いに行って,明朝から使い始めとしようとか,20数年以上も前に教え子からいただいたシンビジウムの花芽が大きくなってき,間もなく咲きそうだとか,今朝のお茶はお湯が適温だったのか香りがよい,電車の中できれいな人を見かけた等々,日々の幸せはこのようなささやかな楽しみ,喜びの積み重ね,これらを見出す能力を培うことが突然やってくるかもしれない不幸に耐える力になるのではないのかなど愚考している.今朝の朝日新聞俳壇に次のような一句があった.
  春めくというよろこびのありにけり  長野県 縣 展子