ステーキの食べ方 2002年1月

 毎年,正月3日付け新聞の朝刊に,雑煮の餅をのどに詰まらせて窒息死というニュースが報じられる。
 神奈川新聞によれば,今年も何人かのお年寄りが亡くなられた。面目ないことに,私はステーキをのどに詰まらせて,危うく死にかけたことがある。
 2年半くらい前のことである。カナダ東部のハリファックス市にあるダルハウジー大学に3ヶ月間ほど出張した折のことである(詳細は"教師のひとりごと"2001年3月をご参照)。この間,妻とアパートを借り滞在した。ある日の夕食はステーキであった。ご存知の方も多いと思うが,むこうの肉は厚くて大きい。レアーだったが,ナイフとフォークで少し大きめに切ったのを口に入れ,咀嚼していたがなかなか噛み切れない。めんどうくさくなって,まあいいかと飲み込んだら,喉につかえてしまった。向かいに座っていた妻に直ちに後ろからわきの下に両腕を入れ,胃のあたりを抑えるようにして持ち上げてもらったが,数回繰り返しても喉から肉が出てこない。餅のように機密性が無く,肉の繊維の凹凸による喉の粘膜との隙間からかすかに空気が入るためか,わずかに呼吸ができたが,苦しかった。
 ちらっと新聞の死亡記事が頭に浮かんだ。「神奈川大教授,出張先で死亡。原因は喉に肉を詰まらせたため」。こんな死亡記事がでたら,神奈川大にはなんとどじな教授がいるのだろう。いっぺんに神奈川大学の位置が低下し,来年の受験生は激減するのではないか。(それほど影響力のある存在ではないが。)こんな思いが瞬時に駆け巡った。声が出ないので,指で隣の方を指し示した。隣の部屋には兄妹学生が住んでいる。彼らにはアパートに来たばかりのころ,地下室にある共用のコインランドリーの洗濯機の使い方など教えてもらっており,面識があった。
 妻はただちに,「アンビュランス(ambulance), 救急車!」と大声で叫びながら隣室のドアーをたたいた。幸い上の男子学生の方が在宅で,すぐ駆けつけてくれた。彼も妻と同じように私の体を前に折り曲げるようにして背中の方から抱きかかえ,何回か持ち上げてくれたがやはりだめ。すぐ,電話してくれた。5-10分位経過したころだっただろうか,救急車が来,2人の医者が駆けつけてくれた。1人の医師が先の学生と同じように私の体を後ろから,みぞおちのあたりを押すようにしてもちあげたら、さすがプロ,血とともに大きな肉の塊が口から飛び出した。
 その瞬間,サーと空気が喉から入って来,生き返った。このときほどうれしかったことはなかった。この間,20分くらいだっただろうか。お礼にお金を少し包んで差し出したが,それが役目と決して受け取ろうとはしなかった。お世話になりっぱなしで終った.翌日も喉がひりひりと痛んだ。看護婦の資格を持ち,養護教諭を長く勤めた妻は,それ以後,夫婦喧嘩をし,形勢が悪くなるたびに「私がアンビュランスという単語を知っていたから,あなたは命拾いしたんですからね」と恩着せがましく,この殺し文句をいう。くやしいが、私はこの"救急車"という英単語を知らなかった。こちらも,敵の致命傷を知っているが,武士の情けで,寅さんではないが,「それをいっちゃあ,おしまいよ」。 
 こんな文章を書いているとき,アメリカのブッシュ大統領がスナック菓子を喉に詰まらせ,一時気絶したというニュースが入ってきた。タイミングが良すぎるが,妙なものを喉に詰まらせるのは,私だけではないと知り安心した。皆さん,ステーキを食べるときはあまり大きな塊をほおばらないようにしましょう。
 
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